フォーラム自由幻想

アクセスカウンタ

zoom RSS 大平健『診療室にきた赤ずきん』(新潮文庫)

<<   作成日時 : 2008/06/15 04:52   >>

トラックバック 0 / コメント 0

大平健の本は、おもしろい。

彼は、聖路加国際病院の精神科医である。

何冊もの本を出している。

心の悩みや苦しみを抱えた患者たちが診療室にやってくる。

彼ら/彼女らの苦しみやつらさの原因は、どこにあるのか分からない。

だから患者たちは余計に苦しい。

著者は、患者の話に童話を重ねる。

それも見事に重ねることで患者の苦しみを解決してしまう。

童話を用いたカウンセリング。

あまりにできすぎた話に見えるのだが、
そこは余裕をもって、著者の試みを堪能してもらいたい。

実際のおもしろさは、本を読んで味わってほしい。

ところで、著者はこんなことを書いている。

食物を歯で何度も噛んでペッとお皿に出してごらんなさい。とてもきたない感じがするでしょ? 皿の上の物はもう食べ物ではなくなっています。私たちが噛み殺した弱肉のなれの果てなのです。死を連想させるものは、全てきたなく感じるものです。嘘と思うなら、それをもう一度、口に入れてみようとしてごらんなさい。自分が噛んだものでも気持ち悪いですよ。(151−152頁)


口の中で噛み砕いたものと「死」を結びつけるところは、
いかにも精神科医らしい視点だ。

 自分の血となり肉となっているものがじつは他の生き物の「死」であるという事実は、おぼろげなかたちではありますが、ときに私たちを直撃します。私たちが自分の体から出てくるもろもろのものを、「きたない!」といやがるのも、そのためでしょう。
 体臭、ふけ、あか、唾、鼻水……。(152頁)


わたしは小さいころ、ひとの家で、
置かれていた壺のなかに何気なく手を入れてみたことがあった。

なぜひとの家の壺の中に手などを突っ込もうと思ったのかは、
まったく覚えていないので謎である。

指先に何かの手ごたえがあり、それを掴み取ってみた。

すると、大量の毛髪が壺の中から出てきたのだ。

あのときの「恐怖」は、今でもぼんやりと記憶している。

それも、幼いながらに「死」のイメージを連想したのだろうか。

幼かったわたしは、「死」の連想に戦慄したのだろうか。

ところで、いったん身体から離れたものを「きたない」と思うものは、
なにも食べ物だけではない。

脱ぎ捨てられた下着、靴下、ストッキング……。

一度脱いだ下着や靴下をもう一度履こうとするのには、少しばかりの勇気が必要だ。

これらにも「死」のイメージがべっとりと張りついているのだろうか。











テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
大平健『診療室にきた赤ずきん』(新潮文庫) フォーラム自由幻想/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる