フォーラム自由幻想

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zoom RSS ウィリアム・ブルム『アメリカの国家犯罪』(作品社)

<<   作成日時 : 2008/05/06 06:37   >>

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自らが自由だと誤って信じる者ほど、絶望的に奴隷化されている者はいない
                 ――ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ――


「フォーラム自由幻想」の名前の由来は、じつはこのゲーテの言葉である。

「自由の国アメリカ」という幻想の正体は、いかなるものか。

このことを考えるうえで、これは必読の書である。

アメリカは現在、世界を舞台に「テロとの戦い」をつづけている。

わが日本は、この「テロとの戦い」に積極的に協力している。

しかし、敵と戦ううちに自らが敵と同じ姿になってしまうというのは、
歴史上よくあることだ。

「テロリスト」と「アメリカ」のちがいはどこにあるのか?

正義のあるなしか?

そうではない。

暴力の規模である。

暴力の規模が小さければ「テロリスト」と呼ばれ、
暴力の規模がすさまじく、巨大で継続的なものが「アメリカ」である。

古代のキリスト教思想家アウグスティヌスが取り上げている、
アレキサンダー大王と海賊の会話のエピソードを想起してほしい。

あるとき、アレキサンダー大王は、海賊を捕らえた。

大王が海賊に、海を荒らすのは、どういうつもりか」と問うたとき、海賊はすこしも臆すところなく、「陛下が全世界を荒らすのと同じです。ただ、わたしは小さい舟でするので盗賊とよばれ、陛下は大艦隊でなさるので、皇帝とよばれるだけです」と答えたのである。(アウグスティヌス『神の国』第1巻、272頁、岩波文庫)


『アメリカの国家犯罪』は、アメリカによる「国家テロ」のカタログである。

「国家テロ」の歴史が、具体的に列挙されている。

繰り返される暴力の歴史。

「ならず者国家アメリカ」。

世界各地に爆弾を投下し、
武器を持たない市民を大量に殺害してきた。

巨額の資金を投下して、日々残虐で高度な殺傷兵器の研究・開発に励む。

世界の民主化運動に介入し、これを弾圧している。

こうした国家テロを行使しているのは、ほかならぬ「アメリカ」だ。

信じられないひとは、本書を読むといい。

1980年代、レーガン政権は、ソ連がアジアに毒を降らせていると宣言した。いわゆる「黄色い雨」問題である。これにより何千人もの死者が出ていると言われた。ワシントンの情報は極めて正確で、あるときには、これに関わる47件の事件で3042人がアフガニスタンで死亡したと発表された。レーガン大統領は文書や演説のなかで、15回以上にわたり、この件でソ連を非難した。後になって、この「黄色い雨」は、はるか上空を飛んでいたミツバチの大群が落とした花粉を含む糞であることがわかった。(57−58頁)


レーガンが、「黄色い雨」をまるでソ連の最新兵器であるかのように取り上げ、
散々国民の恐怖心を煽ったわけだが、
その正体がただの「ミツバチのうんち」だったというのは、
笑って済ませられるレベルの話ではない。

レーガン政権は、福祉国家を批判して、「小さな政府」を主張した。

財政を縮小させ、市場原理の導入をすすめた。

富裕層への減税措置を行ない、国内の格差を拡大させた。

「小さな政府」は、しかし、国家の軍事的機能を膨張させる。

軍事費の増強を招く。

敵の脅威を強調するのは、国家の常套手段である。

「小さな政府」を支持している日本のひとびとは、この点に口をつぐむ。

社会保障制度を破壊し、教育を崩壊させる一方、
この「小さな政府」論は、着々と軍備の増強を推し進めるのである。

一方で国家の機能を縮小させ、他方で国家の機能を拡大させる。

これは偶然ではない。

これこそが「小さな政府」論の正体である。

新自由主義は、新保守主義と手をたずさえて成長する。

「自由の国アメリカ」は幻想である。

1982年と83年に、米国は単独で、教育・労働・保健・適切な滋養・民族の発展などは人権であるという宣言に反対票を投じている。それから13年経った後にも、米国はこの態度を「軟化」させてはいなかった。1996年、国連主催の「世界食料サミット」で、米国は、サミットが「すべての人が安全で栄養のある食料にアクセスする権利」を認めたことに異議を唱え、「食料への権利」を認めないと主張した。米国政府は、その代わりに、飢餓の根元にある貧困を撲滅するための手段として自由貿易を提唱し、また「食料への権利」を認めると、貧困国から援助や特別な貿易条件を求める裁判が提起される可能性があるとの懸念を表明した。(312−313頁)


地球上のすべてのひとが、安全で栄養のある食糧を手に入れる権利。

これにまで反対している「自由の国アメリカ」。

自由主義の旗を掲げて、世界を蹂躙し、食い物にしている。

そして、ひとびとの生存権を奪い、国際社会を不安定にしておきながら、
それを軍事力で押さえ込もうとする「自由の国アメリカ」。

軍事的関心の高まりは、世界を監視の対象にする。

アメリカの巨大盗聴システム「エシュロン」は、世界中の通信を盗聴している。

映画『エネミー・オブ・アメリカ』に描かれたのは、空想ではなく、現実の世界だ。

NSA(アメリカ国家安全保障局)はマイクロソフト社と、
ウィンドウズ95−OSR2以降のすべてのバージョンに特殊な「キー」を
埋め込むことを合意しているという。

さて、わたしたちに必要なことは、こうした事実を知ることだけではない。

このような事実を知ってちょっぴり賢くなることには、大した意味はない。

これに抵抗し、現実的な運動に広めていくことが必要だ。

しかし、世界はそう簡単には変わらない。

わたしたちの努力など微々たるもので、あまりに無力である。

そう多くのひとは考えるかもしれない。

こうした無力感は、根拠がないわけではない。

しかし、無力感は、何もしないことの言い訳にはならない。

本書の巻末に収められている、訳者による解説をここで引用しよう。

かつてガンジーはこう述べた。「あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない」。そして、その理由は次の言葉で明らかにされている。「そうしたことをするのは、世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである」。ワシントン在住のジャーナリスト……は……次のように書いている。「歴史のなかで、われわれは無力であると考える人々は、1830年代の奴隷廃止論者、1870年代のフェミニスト、1890年代の労働組合活動家、1910年代のゲイ・レズビアン作家のことを思い起こすといい。われわれ同様、こうした人々も、自分が生まれる時を選ぶことはできなかった。けれども、なすべきことを選びとったのだ」。(410−411頁)


奴隷制が当たり前のように残っていた時代があった。

女性差別が当然のように思われていた時代があった。

労働者は使い捨てられるのが当然だと思われていた時代があった。

同性愛者は異常なひとびとだと差別されていた時代があった。

しかし、時代に抵抗し、闘うことで、ひとびとは社会を変革してきたのである。

現在の世界が永久に変わらないわけではない。

無力感やニヒリズムは、何もしないことの言い訳にはならない。

アメリカの国家戦略に従属する日本の保守勢力を、徹底的に攻撃すること。

自民党・公明党には絶対に投票しないこと。

自民党を支持することは、
「ならず者国家アメリカ」の「国家テロ」の共犯になるのだということを、
あらゆるひとびとに知らしめること。

「自由の幻想」を暴き出し、国家の家畜にならないように抵抗すること。

こうした実践的な闘争は、わたしたちにできることである。

やるのか、やらないのか、それだけが問題だ。













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