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zoom RSS 前田哲男『新訂版・戦略爆撃の思想』(凱風社)

<<   作成日時 : 2008/05/24 03:13   >>

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上下2段組で600ページを超える大著である。

いまや「空爆」は、戦争において当たり前の光景になってしまった。

わたしたちも、「空爆」の異常さに鈍感になってしまった。

本来、戦時にあって「民間人」を殺戮することは、れっきとした国際法違反だ。

1937年4月――今からほんの70年前のこと。

ヒトラー指揮下のドイツ空軍は、スペインの街ゲルニカを爆撃した。

バスク地方の美しい街は、この空爆で廃墟と化した。

1654人の死者と889の負傷者を生んだといわれている。

画家ピカソがこのナチスの蛮行に怒り、
傑作『ゲルニカ』を描いたことは、誰でも知っている。

そのゲルニカよりも前の1931年3月。

日本は「満州事変」のさいに「錦州」を爆撃している。

錦州爆撃は日本軍による初めての都市爆撃であったばかりでなく、第一次世界大戦後におけるやはり初めての都市への空襲であり、国際的反響の面でも日本軍機の行動に手きびしい非難の集中する最初の事例となった。(65−66頁)


じつは日本軍による「都市爆撃」が、
ナチスやファシストの爆撃思想に影響を与えたのだった。

ドイツ空軍の実験場だったスペイン内戦(1936年)、ムッソリーニの育成した空軍が小手調べをしたエチオピア侵略(1935年)、これらに相当する役割を、中国での戦火は日本の空軍戦略確立のためにもたらした。そして戦政略爆撃確立の試行の場となった「満州事変」(1931年〜)と「上海事変」(1932年)は、スペイン内戦やエチオピア出兵よりずっと以前に生起しているのである。(100頁)


そして1939年5月。

日本は、中国の都市・重慶を無差別爆撃することになる。

死傷者は2日間の攻撃で8000人を超えたという。

重慶とは、日本によって無差別殺戮にみまわれた都市の名だ。

2日間の爆撃をつぶさに体験したセオドア・ホワイト〔『タイム』誌の特派員で、のちにピューリッツァー賞受賞〕は、「この爆撃は、今でこそ、空の恐怖の歴史において忘れ去られた里程標となっているが、当時それは、高まりゆく暴力の歴史にあって無防備の人々に空から下された最大の大量殺戮であった。それを日本軍が行なったのである」と書いている。(184頁)


多くの日本人は、重慶で行なわれた2004年サッカー・アジア杯のとき、
中国人観客の「反日感情」を見て、日本人は無邪気に逆ギレしたわけだが、
そのときのニュース解説で重慶はかつて日本軍が爆撃した都市であったことを
ほんの少しだけ耳にした程度であった。

ところで、天皇ヒロヒトがこの重慶爆撃を高く「評価」していたことは、
天皇を平和主義者だと妄信しているひとびとにとっては驚きであろうか。

そのころ参謀次長だった沢田茂少将も、「海軍側はこの機会に、航空基地〔戦闘機の〕を宜昌に進め、重慶爆撃を有利に行わんとの考えより、切に宜昌占領を希望するとの申出であり……当時、陛下に於かせられては何故か宜昌攻略を熱心に御希望遊ばされ、侍従武官長に度々御下問あり」と回顧録に記している。(224−225頁)


著者は、「重慶爆撃」をとくに重視する。

なぜなら、これこそ本書のタイトルにもある「戦略爆撃の思想」の
最初の現実化だったからだ。

……ゲルニカ、マドリードなどスペイン内戦の都市爆撃は、フランコ将軍率いるナショナリスト軍の地上進攻に協同した作戦であって、空からの大虐殺には違いないが、厳密な意味での戦略爆撃とはいいがたい。(439頁)


では、「戦略爆撃の思想」とは何か?

すなわち@都市そのものを爆撃目標とし、A地上進攻作戦とは別個に遂行され、かつB対人殺傷兵器を多用する――この「戦略爆撃三要件」と、その組織的・反復的・持続的な攻撃方法こそ、日本軍(主に海軍航空隊)によって開発され、戦時首都・重慶に対して試みられた「士気の征服」をめざす戦略爆撃の思想の本質であった。(440頁)


上空から爆弾の雨を降らせ、無防備の市民を皆殺しにすることで、
士気・戦意を奪い取ろうとしたのである。

当時それがいかにショッキングな出来事であったか。

ルーズベルト大統領は重慶の写真を見て、
「東京を重慶のようにしてやる」と叫んだという。(551頁)

この「皆殺しの思想」は、
やがて連合国の戦争指導者たちにも影響を及ぼすことになる。

……ドイツや日本の行為が広範な怒りの感情となって連合国民の胸に共有されるようになると、米・英の戦争指導者と将軍たちは、それを「報復のための根拠」として利用し、ナチズムに対する懲罰を口実に、ハンブルク、ドレスデンを始めとするドイツ諸都市への昼夜分かたぬ絨緞爆撃が敢行されたと主張し正当化するようになる。また、重慶はじめ中国諸都市における惨禍の生々しさが、日本全土を焼き払うナパーム弾攻撃命令を許容し、推進させる「報復の名分」を形づくっていくのである。(438頁)


日本軍が世界に先駆けて行なった「皆殺し」の「戦略爆撃」は、
ブーメランのように日本に戻り、日本自身に向けて行なわれることになる。

東京・横浜・名古屋・大阪・神戸などの諸都市が、空襲の標的となった。

繰り返される国家の暴力、そして報復の連鎖。

東京大空襲を記憶し、その残虐性を非難するひとの多くは、
しかし重慶の名を思い起こすことはなぜかしない。

ともあれ、日本軍による「重慶爆撃」を著者は、
広島に先立つ「ヒロシマの思想」と名づける。

重慶の死者たちは、その後第二次世界大戦において数多く実行される戦略爆撃、ドレスデンと東京で極限に達し、広島・長崎では核エネルギーと合体することになる都市無差別爆撃、さらに冷戦の時代に大陸間弾道弾の推進力によって全人類を組み敷くに至る核による恫喝――核抑止戦略へといたる長い道のりにおける、最初の犠牲者だということができた。彼らは来るべき戦争の世界、機械化され自動化される戦場、殺す者と殺される者との接点がぼやけ、加害者と被害者との関係性が消滅してしまう戦争のあり方を、すでに1939年の時代にあって予告していたのである。まぎれもなくそれは広島に先立つ「ヒロシマの思想」といえた。(175−176頁)


無防備の市民を平然と殺戮する「空爆」を支持する側と、
「空爆」に全身で怒ったピカソ。

いったいどちらの側に立ってわたしたちは世界を見ているのだろうか。

戦争はまだ終わっていない。

1997年4月、ドイツのヘルツォーク大統領はゲルニカで行われた「ゲルニカ爆撃60周年記念式典」でに書簡を送り、ナチス・ドイツによる空爆の罪を認め、生存者や犠牲者の遺族に和解を請うた。「ドイツ兵士の罪ある関与をはっきり認める。過去の罪になお耐えている皆さんに、和解を請う手を差し伸べたい」と書簡はのべ、これを受けてパレオ・ゲルニカ町長は「ヘルツォーク大統領による告白は長らく待ち望まれていたもの」と答えた。(60−61頁)


それに比べて日本政府は、謝罪どころか、事実認定さえしていないという。(566頁)

戦争はまだ終わっていない。

そればかりか日本は再び新たな戦争を準備している。

尚、日本はかつてオーストラリアも爆撃している。

そのため、オーストラリアには今も「反日感情」を持つひとがいる。

オーストラリアに行った日本人が突然厳しい非難を浴びせられることがある。

しかし、多くの日本人は、その歴史的事実をほとんど知らない。

本書には、このことはなぜか書かれていない。
















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