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zoom RSS E・バダンテール『母性という神話』(ちくま学芸文庫)

<<   作成日時 : 2008/05/16 18:26   >>

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歴史を学ぶということは、わたしたちの思い込みを打ち破ることでもある。

若者や子どもをめぐる問題は、いつも熱い議論の的になる。

数十年前は、校内暴力や登校拒否。

現在は、ひきこもりや不登校、そして少年犯罪。

「最近の若者は……」という退屈な若者批判は、
中高年が3人集まると決まって出てくる暇つぶしの話題である。

若者のモラル低下、意欲の減退、根性なし……などなど。

世間でよく見られる反応のひとつは、
問題の原因を「家庭の崩壊」に求めるやり方だ。

離婚率の増加、女性の社会進出、父親の権威の喪失など、
「家庭の崩壊」が昨今の若者にまつわる問題を引き起こしている。

昔の母親はよかった。

昔の父親はよかった。

それに比べて最近の母親は……などと嘆いてみせる。

かつて、「母原病」などという言葉まで生まれた。

母親のせいで子どもがおかしくなった、というのである。

「母原病」については、別に論じるべきことがあるのだが、
それについては機会があればいずれ書くことにしよう。

どこに存在していたのかも確かでない「理想的な家庭」が、
昔の日本にはあったのだと、過去を美化する。

保守派のよくやる手だ。

この本は、そうした保守派の思い込みを気持ちよく論破していく。

女性には本来、母性なるものが備わっている?

いや、ウソだ。

これが、本書の主張である。

母性なるものは、「生まれつき」女性に備わっているものでもなければ、
「すべての女性」に備わっているものでもない。

「母性」とは、近代になって生まれた新しい価値観なのである。

かつては、次のように考えられていた。

子どもに対して愛情や思いやりを与えることは、子どもをダメにする。

子どもに授乳することは、子どもの道徳的破滅の原因となる。

こうした考え方のもとでは、
子どもにさしたる関心を示さない母親もいたし、
子どもを捨てる親もたくさんいた。

産みの母親が愛情をもって育児に専念するという考えは、そこにはない。

乳母が乳を飲ませ、地方に里子に出す。

これが当たり前に行なわれていたことだった。

それが大きく変わったのが、18世紀になってからだ。

1760年頃から、母親にたいして、自分で子どもの世話をするよう勧め、子どもに乳をあたえるよう「命ずる」書物が、数多く出版された。それらは、女はまず何よりも母親でなければならないという義務を作りだし、200年後の今日でも根強く生きつづけている神話を生んだ。それは、母性本能の神話、すなわち、すべての母親は子どもにたいして本能的な愛を抱くという神話である。(180頁)


「母性の神話」が生まれたのは、じつに18世紀になってからのことだったのだ。

女は母親という役割に閉じ込められ、もはや道徳的に非難されることを覚悟しなければ、そこから逃れることはできない。……また、道徳的非難は、子どものいない女にたいする軽蔑あるいは同情を生み、子どもを欲しない母親にたいしては恥辱をあたえた。(291頁)


生まれながらにして女は母性をもつという考え方は、
女性の役割をもっぱら出産・育児に縛りつけることになる。

その反動として、子どものいない女や子どもを産めない女は、
「女として一人前でない」「女らしくない」などのレッテルを貼られることになる。

これぞ「母性の神話」がもつ暴力のひとつである。

人はこの母親の任務の偉大さや高尚さをたたえる一方で、それを完璧にこなすことのできない女たちを非難した。責任と罪悪とは紙一重であり、子どもにどんなわずかな問題点があらわれても入れかわるものだった。人はなんでも母親のせいにするようになった……。(291頁)


こうして、「母性の神話」が作られるようになったのである。

















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