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zoom RSS 横塚晃一『母よ! 殺すな』(生活書院)

<<   作成日時 : 2008/04/18 22:19   >>

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大げさではなく歴史的に重要な本だ。

だが長いこと絶版だった。

それがやっと復刊された。

横塚晃一を知らないひとに、簡単にご説明しよう。

生まれて間もなく、彼はCP(脳性マヒ)になった。

脳性マヒのひとたちで結成された「青い芝の会」に参加。

そして日本脳性マヒ者協会全国青い芝の会総連合会の会長を務める。

彼の名前を一躍有名にしたのは、ある事件がきっかけであった。

1970年横浜市金沢区で、
二人の重症CP児をかかえた母親が、2歳になる下の子どもを絞殺した事件だ。

母親による子殺し事件である。

ところが、この事件が報じられると、たちまち減刑嘆願署名運動が起こった。

わが子を殺した母親に対して、世間の同情が集まったわけだ。

かわいそうな母親を救え、と。

これに対して、横塚は、強烈な抗議の声をあげていくことになる。

障害児が殺されると、なぜ加害者に同情が集まるのか。

横塚晃一の声を、やや長くなるが、実際に聞いてみよう。

 被告である○○〔註:母親の名前〕の警察での調書や公判での証言から明らかであるが、彼女は重症児である我が子を以前にも殺そうと思ったのであり、そして遂に無抵抗な2歳の子供に兇刃を振るったのも他ならぬ彼女なのである。なぜ彼女が殺意をもったのだろうか。この殺意こそがこの問題を論ずる場合の全ての起点とならなければならない。彼女も述べているとおり「この子はなおらない。こんな姿で生きているよりも死んだ方が幸せなのだ」と思ったという。なおるかなおらないか、働けるか否かによって決めようとする、この人間に対する価値観が問題なのである。この働かざる者人に非ずという価値観によって、障害者は本来あってはならない存在とされ、日夜抑圧され続けている。
 障害者の親兄弟は障害者と共にこの価値観を以って迫ってくる社会の圧力に立ち向かわなければならない。にもかかわらずこの母親は抑圧者に加担し、刃を幼い我が子に向けたのである。我々とこの問題を話し合った福祉関係者の中にもまた新聞社に寄せられた投書にも「可哀そうなお母さんを罰するべきではない。君達のやっていることはお母さんを罪に突き落とすことだ。母親に同情しなくてもよいのか」等の意見があったが、これらは全くこの"殺意の起点"を忘れた感情論であり、我々障害者に対する偏見と差別意識の現われといわなければなるまい。これが差別意識だということはピンとこないかもしれないが、それはこの差別意識が現代社会において余りにも常識化しているからである。


障害者が幸福か不幸かなどということは、
健常者が勝手に決めることではない。

第一、ある種のひとたちを丸ごとくくって、
幸か不幸かなどと価値判断することほど、バカげたことはあるまい。

白人は幸福である。

男性は幸福である。

こういった言説は、単に無意味である。

横塚晃一は、さらにつづける。

 あのソンミ事件〔註:ベトナム戦争中に起こった米軍による虐殺事件〕の例を上げれば〔ママ〕はっきりしよう。ベトナムの民間人を数百人殺害しその責任を問われ、終身刑を言い渡されたカリー中尉に対して「かわいそうなカリーを救え」「カリーばかりを責めるのはおかしい」と白人世論が沸騰した。それに押されてニクソンは大統領権限を以って、事実上の無実に近い待遇を与えている。また、日本人農婦を殺し日本の裁判にかけられらジラード二等兵に対しても、子羊ジラードを救えと白人世論は盛り上った。白人にしてみればアジア人は異教徒であり蛮族であり、自分達のつくってきた正義観、道徳観の論理などを当てはめるには当たらない。ましてや自分達より劣った蛮族の裁判を我が白人が受けるのは何としても我慢がならないというのである。
 やっぱり重症児は健全者といわれる人達にとっては異人種なのであろうか。(43頁)


ずっと前のことだが、サリドマイド児が殺害されたときも、
「犬や猫を殺しても罪にならない、だから今度の場合も果して罪といえるのかどうか」
と言った女子大学生がいたという。

また、「青い芝の会」が厚生省(当時)に「優生保護法」に対する抗議に訪れたさい、
精神衛生課長は、「私は医者でつくづく思うのですが障害者が一人もいなくなれば
世の中がどんなに幸せになるでしょう」などと
CPのひとたちに向かって言い放ったという(107頁)。

「青い芝の会」の活動は、やがて優生保護法の「胎児条項」削除という形で実を結ぶ。

「胎児条項」というのは、
胎児に障害があることを理由に選択的中絶ができるという条文だ。

映画好きのひとなら、横塚晃一の名を、
『さよならCP』(監督原一男)の主人公として記憶しているかもしれない。

このような差別は、過去の問題ではない。

「植物人間は、人格のある人間だとは思ってません。無用の者は社会から消えるべきなんだ。社会の幸福、文明の進歩のために努力している人と、発展に貢献できる能力を持った人だけが優先性を持っているのであって、重症障害者やコウコツの老人から〈われわれを大事にしろ〉などといわれては、たまったものではない」
 これは、週刊朝日1972年10月27日号「安楽死させられる側の声にならない声」という記事にある元国会議員で「日本安楽死協会」なる物〔ママ〕を作ろうとしている太田典礼の言葉だ。私たち重度脳性マヒ者にとって絶対に許せない、また、絶対に許してはならないこの言葉こそ、実は脳性マヒ者……を殺し、経済審議会が2月8日に答申した新経済五ヵ年計画のなかでうたっている重度心身障害者全員の隔離収容、そして胎児チェックを一つの柱とする優生保護法改正案を始めとするすべての障害者問題に対する基本的な姿勢であり、偽りのない感情である事を、私はまず一点押えて置かなければならない。


経済効率を重視して、役に立たない者を社会から排除・抹殺しようとする。

この思想は、医療・福祉・教育の分野で、じつは着々と実現されている。

太田典礼がつくった「日本安楽死協会」は、
現在、「日本尊厳死協会」と名称を変えている。

障害者差別・女性差別の権化・石原慎太郎は、現在も東京都知事である。















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