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zoom RSS 藤原彰『新装版 昭和天皇の十五年戦争』(青木書店)

<<   作成日時 : 2007/04/10 04:13   >>

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政治家や小説家や漫画家の一部が、歴史の捏造をもくろんでいる。

歴史家の書いたものを読んでちゃんと勉強しなさい。
この、ぼんぼんども。

近代日本の軍隊の何よりの特徴は、天皇の軍隊であるということであった。創設のはじめから、国家の軍隊、国民の軍隊というよりも、天皇の軍隊であることが強調されてきた。


こんなことは、誰でも知っていることである。
ところが、天皇の戦争責任を認めようとしない愚鈍な人びとは、
あれこれと甘ったれた戯言を繰り返し、世界中に恥をさらしまわっている。

全文3000文字を超える長大な、変体仮名で書かれた古文調の文章〔注:軍人勅諭〕を、学歴のない下士官や兵士が暗誦させられることは、大変な苦痛であった。将校でさえ、勅諭の全文を記憶することは困難であった。週番士官勤務中の和歌山連隊の後宮少尉が、勅諭を読み違えたことを悔いて自殺したという事件まで起こったほどである。この後宮少尉は、侍従武官長後宮淳大将の息子である。……
近代日本の戦争が天皇の戦争であることを、軍人勅諭の文章は象徴的に示している。すべての上官の命令は、天皇の命令であるとし、天皇の名において侵略戦争が戦われることになるのである。


軍人勅諭には、「死は鴻毛よりも軽しと覚悟せよ」と明確に述べられている。
つまり、人間の生命は鳥の羽毛よりも軽いというのである。

それほどに、人間の生命を軽視しているのが、軍人勅諭の精神である。

昭和天皇は、生まれながらにして将来の大元帥となることを予定されていた。そのために幼少時代から特別の帝王学と軍事教育を受けた。のちに十五年戦争の指導者として、並みの政治家が及びもつかない軍事知識と能力を発揮する素地は、こうした軍事教育によって形成されたのである。


軍国主義下の日本人がヒロヒトを大元帥と認めていただけでなく、
ヒロヒト自身も大元帥・軍国主義者であることを自覚していたのである。

本書では、具体的に天皇の果たした役割が説明されている。

……天皇は大元帥として直接作戦に介入し、戦争指導に大きな役割を果たしたことは事実である。しかも天皇は、終始一貫変ることのない大元帥であった。十五年戦争の期間に、帷幕の長としての参謀総長は、9年間在任した閑院宮をふくめて5人が交代し、軍令部総長は8年間在任した伏見宮をふくめて6人が交代している。陸軍大臣は12人、海軍大臣は9人が就任している。天皇だけが変ることなく最高の地位に座りつづけていたのである。


つまり、昭和天皇ヒロヒトは、大日本帝国最大の戦争責任者である。

天皇には実質的な権力はなかったなどという寝言は、いい加減にしてほしい。

統帥と国務の双方に最高位にあって実質的な戦争指導を終始変らず続けていた天皇は、機構のうえでも、その実質においても、最高の戦争指導者であったことは、疑う余地のない事実である。立憲君主であって、すべて内閣の輔弼にしたがい、責任機関の上奏は何ごとも却下したことはなかったとか、平和主義者で終始軍部のすすめる戦争に反対でありながら、立憲君主の制約のゆえにその意向を表明できなかったのだとかの虚構は、歴史の事実によって否定されている。天皇の戦争責任を免罪にすることで、現実の政治利益を得る勢力が、歴史の事実の抹殺をはかっているのである。(太字は引用者)


昭和天皇に戦争責任はない。
昭和天皇は平和主義者であった。

このように寝言を並べる人は、ネオナチと同類なのである。
このことを断言しておこう。

1945年2月 アメリカ軍が硫黄島に上陸

1945年3月 東京大空襲
1945年4月 凄惨な沖縄戦の開始

このときになっても、天皇ヒロヒトには戦争を終わらせる気はまだなかった。
何と怖ろしい人間であろうか。

有名な近衛による上奏のさい、「まだ見込みがあるのだ」と近衛をたしなめて、
「一度叩いてから」と戦果をあげるように主張したのは、ほかならぬ天皇自身であった。

ようやく天皇ヒロヒトの強硬論に変化が見られるようになった。
この年の5〜6月と言われている。
なぜ天皇の考えが変わってきたのだろうか。

沖縄戦の敗北があったからだろうか。
広島・長崎の原爆投下(8月6日・9日)があったからだろうか。

いや、ちがう。
天皇ヒロヒトは、国民の生命にはまったくと言っていいほど関心はなかった。

では、何が背景にあったのだろうか。
本書に聞いてみよう。

戦局についての天皇の判断に、大きな影響をあたえたのは、6月上旬の2つの事件であった。


さて、何だろうか?

1つは6月3日と4日に、侍従武官の大部が、九十九里の東金、片貝付近の防備状況を視察した。その結果防備はほとんどできておらず、また本土防衛の師団の装備も、兵士に銃剣さえ行きわたっていないという状態であった。


ふむふむ。

もう1つは6月11日に行われた梅津参謀総長の上奏の影響である。……精強をうたわれていた関東軍が、度重なる南方への転用で抜けがら状態になっていることや、支那派遣軍の弾薬や装備が不十分であることを梅津の上奏によってはじめて知った天皇の衝撃は大きかったようである。


つまり、自分の身が危ぶまれてはじめて、威勢のよい強硬論が変化してきたというのだ。
何と怖ろしい人間だろうか。

大元帥としての天皇の戦争意志に何よりも強い影響をあたえたのは、沖縄戦や空襲の影響ではなくて、直接東京の防衛の不十分さなのであった。
すなわち関東平野へのアメリカ軍の上陸にたいしての、日本側の防衛態勢の不十分さが、直接には天皇の戦争遂行意志を打ちくだいたということができるのである。


その後、ソ連軍の参戦によって、決定的な状況に追い込まれることになる。

最終的には、天皇の降伏の意志をかためさせたのは、前述のように国体の護持が危うくなるソ連の参戦であった。ただそれに先立って、本土防衛態勢の不十分さ、アメリカ機動部隊の本土攻撃、それと原爆投下が重なった戦局の破局的様相が、大きな原因となっているということができる。そして沖縄戦における大きな犠牲や、B29の無差別爆撃による都市の被災、国民の大きな被害は、あまり戦争意志に影響をあたえていないことに驚かざるをえない。


天皇ヒロヒトは、平和主義者ではない。
そもそも、平和主義者ではないはずのタカ派の連中が、
日ごろは平和主義者を嘲笑っているはずのタカ派の連中が、
天皇を平和主義者だと言ってかばうのは、滑稽な図柄である。

ヒロヒトの関心は、国民の生命にはなかった。
彼の関心は、三種の神器と国体の護持(つまり自分の生命)だけにあったのだ。

天皇のために死んでいった人びとも、
天皇のせいで殺された人びとも、
シベリアに長期間抑留された人びとも、
そして、戦犯として裁かれた人びとも、
天皇と日本政府に見捨てられたのであった。

もちろんここで忘れてはいけないことがある。
それは、日本の戦争によって被害を受けた諸外国の人びとのことである。
昭和天皇は、彼らのことには、爪の先ほどの関心も寄せてはいなかった。

1975年10月31日、天皇は日本記者クラブ代表との会見に応じた。
有名なエピソードである。

戦争責任についてどうお考えですかという質問にたいしては、「そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしていないので、よくわかりませんから、そういう問題についてはお答えできかねます」という、唖然とさせるような答えをした。また広島への原子爆弾投下の事実をどう受けとめたかという質問にたいしては、「原子爆弾が投下されたことに対しては遺憾には思ってますが、こういう戦争中であることですから、どうも、広島市民に対しては気の毒であるが、やむを得ないことと私は思ってます」と答えた。
これは、戦争責任についてはまったく無関心であり、国民の犠牲についてもあまり痛みを感じていないような回答であるといえよう。


これだけでも呆れるのに十分であるが、さらに次のような事実も明らかになっている。
これも有名な事実である。

……1947年9月に宮内省御用掛寺崎英成がGHQ外交顧問シーボルトを訪れ、天皇の沖縄の将来についての意向を伝えた。シーボルトの国務省への報告では、天皇はアメリカが沖縄を25年ないし50年、またはそれ以上の長期にわたって、主権を置いたまま軍事占領をつづけることを希望する旨を表明しているというのである。


戦陣訓で「生きて虜囚の辱を受けず」と国民には教え、
死ぬことを強要した天皇・戦争指導者たち。

そのくせ、「無条件降伏」した天皇・指導者たちは、どうした?
「生きて虜囚の辱を受けず」を守ったのか?
すぐさまマッカーサーのところににじり寄ったのは、天皇ヒロヒトではなかったのか。

ヒロヒトとマッカーサーの「ツーショット写真」に衝撃を受けたひとりに、
渡辺清というひとがいる。
彼については、後日書くことにしたい。

「良心的」日本人のみなさんよ。
天皇が平和主義者であったなどというデマをたれ流すのは、もうやめてほしい。

〔天皇ヒロヒトは〕決して立憲君主の枠を守ったのではなかった。大日本帝国の統治権者としての強烈な自覚をもち、万機を親政しようとした。とりわけ大元帥として陸海軍を親率することに強くこだわった。十五年戦争の全期間にわたって、終始戦争指導者の中枢に位置して戦争を推進した。そして国民の苦難をかえりみず、国体すなわち天皇制の護持と、皇模すなわち領土の拡大に熱意をもやしていた。まぎれもない最大の戦争責任者だったのである。


このような言葉で本書は結ばれている。

薄い本ではあるが、必読の1冊である。















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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
直接このテーマとは繋がらないのですが、「あるある大辞典」番組捏造問題を渡りに船として、放送法改正が行われようとしています。
これは、公権力がメディアに「社会に悪影響のある情報を流した」と判断したときに事情聴取したり、処罰したりすることを随意できる法らしいです。
それを悪用されれば表現の自由は無視され、極端なはなし歴史認識なども限定され兼ねないもんです。
面白い映像サイトがありましたので、こちらをどうぞ!
http://montagekijyo.blogspot.com/2007/04/blog-post_09.html 「お笑い みのもんた劇場」
船頭
2007/04/10 22:25
◆船頭さま

これについては、いま深刻な事態が進行しています。マスメディアの活動に一定の縛りを加えてもいいのではないか、と考えている若者が、少なくないということです。メディアも批判されるべきところはたくさんありますが、国家権力に過度の信頼を寄せることほど危険なことはありません。そうした認識が薄れていることは、きわめて危険な状況です。
「お笑い みのもんた劇場」は、たまに拝見しております。「みのもんた」という人物の愚かさが、よく出ていますよね。わたしたちも「みのもんた」を大いに批判していきましょう。
影丸
2007/04/11 17:19

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