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zoom RSS 山田朗『大元帥・昭和天皇』(新日本出版社)

<<   作成日時 : 2007/03/27 17:09   >>

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いわゆる「富田メモ」をめぐって、昭和天皇の虚像がますます増幅されている。

昭和天皇(ヒロヒト)は、平和主義者であった。

先の戦争は、もっぱら軍部の暴走によって起こったものであった。

ゆえに、昭和天皇には戦争責任などない。

こんなしらじらしい虚偽をいまだに信じているひとがいる。

昭和天皇は、国民と同じように、軍部の犠牲者であった。

そう本気で信じているひとがいる。

軍部・支配層と国民を区別して、国民を犠牲者だとする見方は、
じつは戦後の中国が採っていた立場である。

ヒロヒトを平和主義者であったとするイメージは、
じつは占領統治をしたアメリカによって作られたフィクションである。

ここで問題にしたいのは、とりわけ「昭和天皇」の虚像についてだ。

ヒロヒトは、決して平和主義者でも何でもなかった。

軍服を着たヒロヒトは、まさに「大元帥」そのものであった。

本書を読めば、そのことがよく分かる。

天皇は「御下問」「御言葉」を通じて戦争指導・作戦指導に深くかかわった。……とりわけ、次の事例において大元帥・昭和天皇の発言は、作戦計画あるいは具体的な作戦内容を左右する大きな影響を与えた。
 @ 熱河作戦の一時差し止め(1933年)
 A 2・26事件における反乱軍の武力鎮圧方針の決定(1936年)
 B 日中戦争初期の兵力増強、戦略爆撃実施方針の決定(1937年)
 C 張鼓峰事件における武力行使方針の一時差し止め(1938年)
 D 「昭和14年度帝国海軍作戦計画」の修正(1939年)
 E 宜昌再確保への作戦転換(1940年)
 F フィリピン・バターン要塞への早期攻撃の実現(1942年)
 G 重慶攻略の方針の決定と取りやめ(同年)
 H ガダルカナルをめぐる攻防戦における陸軍航空隊の進出((1943年)
 I ガダルカナル撤退後におけるニューギニアでの新たな攻勢の実施(1943年)
 J 統帥内部の中部ソロモン放棄論の棚上げ(同年)
 K アッツ島「玉砕」後における海上決戦の度重なる要求と海軍の消極的姿勢への厳しい叱責による統帥部ひきしめ(同年)
 L 陸軍のニューギニアでの航空戦への没入(同年)
 M 「絶対国防圏」設定後の攻勢防御の実施(ブラウン奇襲後の軍令部の指示など 1943年〜1944年)
 N サイパン奪回計画の立案(1944年)
 O 沖縄戦における攻勢作戦の実施(1945年)
 P 朝鮮軍の関東軍への編入とりやめ(同年)
(山田朗『大元帥・昭和天皇』309−310頁より)


ヒロヒトに関する資料は、宮内庁がまだ隠しているものも多い。

都合のわるいものがあるのだろう。

しかし、すでに明らかになっているものだけからも、
以上のように「大元帥」としての姿ははっきりと浮かび上がってくる。

また、昭和天皇は、どのような軍事行動であれ、戦闘に勝利し、結果として「国威発揚」に成功した場合には、賞賛を惜しまなかった。満州事変における関東軍・朝鮮軍の独断専行の軍事行動、熱河作戦、張鼓峰事件など当初は、天皇の怒りをかったが、「戦果」があがると一転して天皇はこれらの暴走を事後承認しただけでなく、勅語を出すなどして賞賛・激励したのでる。
(同書312頁より)


メディアも多くの日本国民も、アメリカに洗脳されている。

「平和主義者」としての天皇というイメージをアメリカに「押し付けられ」ている。

何より重要なのは、ヒロヒト自身が戦後、
必死に「平和主義者」としてのイメージを作り上げようとしていたことだ。

「平和主義者」というイメージを捏造することでいったい誰が利益を得たのか。

言うまでもなかろう。

第一に、ヒロヒト本人である。

第二に、天皇を利用して日本を占領統治したアメリカである。

ヒロヒトは平和主義者ではない。

こんな分かりきったことをまだ書かなければならない今の日本。

愚かだというだけではすまない恐ろしさをみなぎらせている。
















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